2010年11月28日日曜日

主日礼拝



葡萄酒はイエスの血、おいしくいただきます。
Chateau CROIX FIGEAC Saint Emilion Grand Cru 2006
今日の説教は牧師講壇交換で貝塚聖書教会の説教は岸和田北聖書教会の牧師がしました。
栗原牧師は兄弟から奴隷として売りとばされたヨセフについて、人にはねたみであるとしか思えない悪い計りごとも神はそれを、良いことのための計らいとなさるという聖書。
御言葉をいきると言うことは、このような場面に人を許すことができる人のことを言う。
各々の人生には神は良いものでいっぱい満たしてくれると彼は正直信じている。
その思いは、信じて生きことに尽きるとギターを弾き讃美歌を歌いながら体いっぱいに現わしていた。


キリスト者学生会のメンバーである栗原牧師は悠子とも面識あり今どうしてるのかとわたしに尋ねる。
わたしは悠子は自分の好きな事のため、卒業と同時にわたしから離れて京都で人生を歩みだしていると答える。
このことは、神のご配慮とすれば、ヨセフが見えてきて理解した様に、わたしにも悠子にも、周りの者にもはっきりと見えてくる時がくると思う。
すでに三つほど見え出したことがある。

一つ、わたしの生きがいを娘に求めたことの弊害。
それは娘の自由を拘束していることと、本来のわたしの人生が始まらないこと。
二つ、神は人とはちがう。人は神にはなれない。
放蕩息子に口づけできる親がいるだろうか?
人は神に恥入り、謙虚でなければならない。
三っ、わたしはわたしの大事なひとに気づかなければならない。
雅子と人生を生きなければならない。
このことを気付いたと栗原牧師に伝える。

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