2009年10月4日日曜日

世界遺産カッバドキア














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Cappadocia (「美しい馬の地」を意味するペルシア語:Katpatukに由来、小アジア(現代のトルコ)の広大な内陸地域を指した。
ヘロドトスの時代には、「カッパドキア人」がタウルス山脈から「ユークシン(Euxine、すなわち黒海)」までのすべての地域を支配した。
カッパドキアという呼称の最初の記録は、紀元前6世紀後半に遡る。そこでは、2人のアケメネス朝初期の王ダレイオス1世クセルクセスについて3言語で書かれた碑文*に、ペルシア帝国を構成する一地方(古代ペルシア語でdahyu-「州」)として現れている。

カッパドキアはいくつかの地下都市を有しており、主として初期キリスト教徒によって、隠れ場所として使用された。4世紀のカッパドキアの神父たちは、初期キリスト教哲学の多くに対して不可欠な存在であった。
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*碑文はペルシア語エラム語バビロニア語によって書かれている。
バビロニア語もアッシリア語も時代が下るにつれアラム語の影響を大きく受け、最終的にはアラム語に圧倒されて使用されなくなった。
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キリスト教聖書の、主の祈り (Lord's Prayer) はイエスがアラム語で祈られた。

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