2009年8月16日日曜日

ハザール


写真はモンゴルウランバートル西30キロメートルの路上で出会った遊牧風景
ハザールの支配者は東洋系人種である。





ハザールの支配する領域








ハザール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ハザール(Khazar)は、7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北からコーカサス黒海沿いに栄えた遊牧国家。支配者層はテュルク系と推測されている。
交易活動を通じて繁栄した。

康国(サマルカンド周辺)に北隣する「突厥可薩部」がこの「ハザール」のことと考えられている。



9世紀までに、ハザルの支配者層はユダヤ教を受容したが、住民はイスラム教徒が多かったと考えられている。





922年にカリフムクタディルの使節に随伴したイブン・ファドラーン(en:Ahmad ibn Fadlan)による記録が『ヴォルガ・ブルガール紀行』として残されている。

後ウマイヤ朝のユダヤ教徒出身のワズィール、ハスダイ・イブン・シャプルト(en:Hasdai ibn Shaprut)とハザールのヨセフ・カガンとの間で交わされた往復書簡が残されている。

カイロシナゴーグのゲニーザー(文書秘蔵室)で発見された10世紀以降(ファーティマ朝時代)の文書(カイロ・ゲニーザー(en:Cairo Geniza))からも幾つかのハザール関連資料が発見された。

ハザールのユダヤ教化の経緯等が書かれた無名のハザール人のハスダイ宛書簡(シェフター文書)やキエフテュルク系ユダヤ教徒の紹介状かつ寄付の呼び掛け状(キエフ文書)など。










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